イッツ・ナット・ゴーイング・トゥ・ストップ

 2月3日の朝、寝ぼけた頭でTwitterのタイムラインをながめると、フィリップ・シーモア・ホフマンの死を悼むジョー・ヘンリのツイートが目に入った。慌てて検索すると事実だった。ニューヨークのアパートメントで独り、ヘロインの注射針を腕に刺したまま。
PSHが、死んでしまった!自分でも驚くほどショックが大きかった。


 PSHの出ている作品はできるだけ観るようにしていた。なぜかわからないけど、だいたい面白く無いということはまずなく、彼が情けない役や、ブチ切れる役や、繊細な役を強烈に、しかし誠実に演じるのを観るのが好きだった。どんな悪役であっても彼が純粋な悪であったことはない。人の業を、彼という一個の人間の誠実さを通して見せてくれた。彼の新作がもう観られないなんて悲しすぎる。
 とりあえずその日の夜は『ブギーナイツ』を観た。瑞々しい青春映画だった。挫折はあっても、90年代は始まったばかりで希望に満ちていて、パーティーが続く中映画は終わった。その後『マグノリア』の挿入歌、エイミー・マンの "wise up" の公式クリップ(というか映画のワンシーン)を繰り返し観て、この映画のことを思い返したりした。



Magnolia - Aimee Mann - Wise Up - YouTube

始めたころに 想像してたのとは違うよね
欲しかったものを手に入れたのに いまはただ耐えがたい
だって気づいてしまったんだもの
それは終わらない
それは終わらない
決して終わらないんだ
賢くなるまではさ


きみは救いがあると信じてる
そしてついにそれを見つけたって
たった1杯の酒で きゅっと縮こまって
地中にもぐりこむ
でもそれは終わらない
それは終わらない
決して終わらないんだ
賢くなるまではね


何もかも明け渡してしまう前に 
必要な物はリストにしておくんだ
だってそれは終わらないから
それは終わらない
賢くなるまでは
決して終わらない
賢くならなきゃ
決して終わらない
……だから、あきらめて。


  映画の登場人物たちは愚かな振る舞いを繰り返し、苦しんでいる。解決策はあるかもしれない。でもどうしてもそこにたどりつけないし、たどりついたように見えてもまた逆戻りしてしまう。多くは薬物やアルコールの依存症に当てはまることだけど、それだけではない、その人特有の性癖もまた変えることは難しく、人生を躓かせる。
 ダメな男にばかり惚れてしまうとか、過去の栄光にすがってしまうとか、親の期待に応え続けてしまうとか。派手な挫折や問題こそないものの、人間関係や日常生活の中で、止めることで楽になるはずなのに同じ「ダメな選択」を繰り返すのは誰にでもあることだ。それを「人間は変われる」「変えられるのは自分だけ」と信じて挑戦するのはまったく悪いことじゃない。でも、やっぱりダメ……そんな人ばかりが『マグノリア』には登場する。そして最後の「あきらめなよ」は、なぜかとてもとても優しく響くのだ。この映画に登場するすべての人物が愛おしく思えてくる。
ああ、『ブギーナイツ』でパーティーに興じていた人々、時代の空気は、変わったんだ。


 間違った振る舞い、愚かな選択、そんな人生にウンザリしているけれど、いちばんウンザリするのはそこから抜け出せない自分だ。心が弱いから?覚悟が足りないから?ほんとうにほんとうにバカだから?理由はいくつだって思いつくけど、それは解決策じゃない。ただわたしたちを苛むだけだ。
 「あきらめる」とはどういうことだろう。白旗を揚げて人生を退場することだろうか。ただ自分の人生をちょっと情けないものとしていったん受け入れる、そういうことだろうか。この映画に登場する登場人物たちは愛おしいと書いたけれど、実人生で出会うのはそんなに愛おしい人ばかりじゃない。家族だったり親しい人があんなだったら、ものすごく辛かったり、腹が立つかもしれない。でもわたしは時々考える。いまわたしを怒鳴りつけている人や、わたしのやりたいことを邪魔している人がいたとして、彼らはわたしのことなんて本当は知らない。彼らにはきっとそれを止められない。差別的な発言、人を傷つける振る舞い、意図的でないが故に、理不尽さを強く感じることはいくらでもある。でもそれはわたしの落ち度じゃない。彼らには、止められないのだ。わたしにも止められないことがあるように。うすうすそれを嫌悪しているからこそ、何かの拍子にこんなに爆発してしまうのかもしれない。もちろん、だからといって彼らの行為を擁護する気はなくて、ただ少なくともわたしは、わたしの感情、思考、行動、発言、全てを、自分ひとりのものとして扱い、責任を取ろうと決めた時からそれらの理不尽に傷つくことは格段に少なくなった。それがわたしのあきらめかた、なのかもしれない。


 PSHはどうやらずっと薬物依存と戦っていたようだった。彼の素晴らしい才能と誠実な努力とは、多くの才能ある人たちとの出会い、そして愛してくれる人たちとの出会いをもたらしたことだろう。なんの不満があるのか、と傍目には見える。けれど彼の内面にはどうしても止められないなにかがあった。それはヘロイン中毒という形をとって彼や、周囲の人たちを苦しめた。もし、ヘロインがもっと手に入りにくいものなら。たとえば、タバコやコーヒーやもう少しマシな物質だとか、あるいはワークアウトやシビアな食餌制限や、そんなたぐいの依存であれば、と思わずにはいられない。その後入ってくる詳細な状況を知るほどに、現在の状況が彼にとって「底付き体験」となり、依存症を脱出するチャンスのひとつでもあったことが伺える。長年のパートナー、子どもたち、親しかった人々の気持ちを思うと本当にいたたまれない。わたしは死後の世界を信じないのでPSHはそりゃあきっと安らかに眠るだろうと思うのだけれど、残された人たちに、わずかでも安らぎがあるようにと、強く強く願う。