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ナラティヴフォビア

fragment
  • 去年はほとんどブログを更新せず、小説も読まなかった。わずか数冊読んだのは実用書、映画を観ることはできたが、あまりにドラマティックなものは無理だった。Twitterにはいた。ログが流れていくから。語ること、語られることへの恐怖が高じて、物語全般を避けるようになってしまった。
  • 語られたことがらは程度に差こそあれ、常にフィクションだ。世界に、わたしに起こったできごとを書き留めることは結局どこまで行っても抄録に過ぎない。もちろんそれで構わないはずなのだ。毎日起こったことを全て記憶(あるいは記録)していたら、頭も心もパンクしてしまう。生きのびるためにわたしは世界を圧縮する。旅にでるために荷物をパッキングするように。そうやって誰もが何かを語り、わたしもその物語の一部となる。それに抵抗するのは無意味だ。重要なのは、何を持っていくかというパッキングのプロセスと、その後の旅だ。なのにわたしはまるで絡め取られるような気がして、そこから逃れようとあがいている。
  • 覚悟が足りないのかもしれない。でも、圧縮してしまったら、わたしの言葉で語ってしまったら、あのとき起こったできごと、出会ったひとたち、そして自分自身のなにかが損なわれてしまうような気がしてどうしても踏ん切りがつかない。これまでずっと繰り返してきたことのはずなのに、いまになってまだこんな気持ちになるとは思わなかった。
  • いったいわたしはどうしたいんだろう。